アメリカの接客だって良いじゃないか!対等だからこその”おもてなし”

以前、接客業に従事していたこともあり、お店に行くと店員さんの接客態度が気になる私。

日本は、五輪誘致プレゼンでも話題になった「おもてなし」の国であり、コンビニやファーストフードであっても非常に高い質の接客をすることで有名です。

でもね、ずいぶん前の話ですが1週間アメリカで過ごす機会があり、その時に思ったのは、日本の接客ってなんか違うんじゃないの?ってことでした。

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基本的に何も期待してはいけない国、アメリカ

これはアメリカに住んでいる友人の言葉です。

この国では基本的に何も期待しちゃダメだよ。だからプラスアルファがあるととても嬉しくなる

アメリカはプラグマティズムと合理主義の国ですから、基本的に仕事をしている人は給料以上の仕事はしない印象です。

コンビニ(ガソスタ)の店員とか、日本じゃ考えられないくらい無愛想。

中にはアジア人というだけで露骨に嫌悪を顔に出すレイシスト不届き者も居る始末。

誰に対しても愛想のいい、高級ホテルのフロントや航空会社の人たちはそれなりに給料もらってるわけです。

その時に我々が滞在したのはHyattでしたが、ルームキーパーとかの裏方仕事をやってる人はほんとに日本じゃありえないくらい適当(対人対応が。本来の仕事はキッチリやってくれますよ)。そのかわり、休憩中の警備員とかが平気で話しかけてくる。

原則として、たとえホテルの従業員であろうと、お金を払った分しか仕事してくれませんし、裏方仕事の中には”接客・接遇”は含まれません。

しかし私は、逆にそういう部分に気持ちよさを感じたのです。

レストランで注文をとるついでに世間話をするおばあちゃん

先の発言をした友人と弟と3人で夕食を食べた時のこと。

注文を取りに来たそこそこ高齢の店員さんが、注文を聞いたあとに”このへんに住んでるの?”と話しかけてきたのです。

我々が”日本から来たんだ”と答えると、”親戚が日本人と結婚して日本に住んでる。とてもいい国だって聞いてるから行ってみたい”とのこと。

ちょっとした会話なんですが、それだけでちょっとほっこりした気分になりました。

日本では飲食店で店員が自分の親戚の話なんかしませんよね。

このおばあちゃんだけでなく、日本人だというと”日本好きなんだよ”とか”日本行ったことあるよ、いいところだった”って言ってくれる人が何人かいました。

そうそう、酒屋のおっちゃんなんか、買い物しに入ったのに、商品選んでる途中にわざわざ来てスマホで日本ネタのおもしろ動画見せてきましたからね。

商店で払うお金は商品と交換するもので、店員と客の関係はあくまで対等な人と人。やっぱりそういうほうが私は好き。

余計なことはしないけど、聞けば教えてくれる

あと、印象的だったのがヨーグルトマウンテン(関係ないけど、このお店日本にもできないかな。量り売りのセルフサービスアイス屋さん)のおばちゃん。

店に入って”Hi!”の一言のあと、別に何も言わないわけです。別に笑顔もなかった。

日本にはないスタイルのお店なので、我々はどうやって買えばいいのか皆目見当がつきません。先払いなのか後払いなのかもわからない。

そこで”初めて来たんだけど、どういうシステムなの?”と聞いてみたら、表情こそ無愛想なんですがちゃんと説明してくれるのですよ。

お店が暇だったからかもしれませんが、こちらがちゃんと要望を伝えれば、それすらも放っておくようなことはしないんだなぁ、とわかりました。

アメリカの接客は、デフォルト状態には期待せず、言いたいことはちゃんと言うことで必要な対応を引き出すという感じですかね。

あくまで対等な人間同士で必要なコミュニケーションをしっかり取れば、不親切ということもないわけです。

やっぱり日本はマニュアル対応だと思う

翻って日本では、接客対応というのはある程度「型」が決まっていて、しかも店員側が立場が下になっているなぁと思うのです。

もちろん教育効率とか、クレーム防止という面もあるとは思うのですが、なんかつまらない。

もちろん、全体の質は担保されているとは思います。

それはユニクロが日本式の接客をそのまま外国に持ち込んで成功していることからも伺えます。

やはり全体としてみると、日本の接客技術というのはかなりハイレヴェルなんでしょう。

しかしね。。。

だったら自販機や無人レジでいいじゃないか、とも思ってしまうのですよ。

要望があっても、基本的にマニュアル通りの対応がされるわけで。

それはあらゆる顧客の要望を想定しているということですごいことかもしれませんが。。。

もっと、目の前のお客様その人にパーソナライズされた対応があってもいいんじゃないかと。

お客様と対等じゃないと真の「お客様目線」は得られない?

それはマニュアル対応ではもちろんできないし、下の立場からではできないことだと思うのです。

日本では「お客様目線」というと、接客する店員側の想像力に任されるわけですが、これは接客する側とされる側の立場が違うのが原因じゃないかなと。

お客様と対等な立場から、対等にコミュニケーションをとると、自然にお客様と同じ目線が獲得できるのではないかと思います。

私自身、マニュアルから外れた対応をしたことがきっかけで、その後も長く続くお付き合いに発展したお客様もいます。

一緒に商品を選ぶという同じ立場に立って、要望を聞き、応えることで、お買い物に満足していただくことができたのだろうし、客と店員を超えた個人的な関係に発展したのではないかなと思うのです。

対価分の仕事しかしないから後腐れもない

あと、日本でよく感じるのが、精神コストが時給を大幅に超えるような対応をされると気後れしてしまうということ。

お店やモノによりますが、時給1000円以下で働いているであろうアルバイトが、バカ丁寧に接客してくれたりすると、なんだか申し訳ない気持ちになってしまうのです。

店員に対して罪悪感に似た感情を覚えてしまうと、無意識にその店からは足が遠ざかってしまいますし、そうでなくても次に行った時にはもうちょっと高い買い物をしようとか思ってしまうのですね。

はたしてそれって健全なのかな、と思います。

アメリカ流の接客は、こちらも期待しないし、向こうも給料分の仕事しかしないので、そういう精神的な貸し借りが発生しにくいんですよ。

たぶん私が感じた気持ちよさはこのへんが原因なのだと思います。

個人的には買い物というのは、その時の買い物が気持ちよく終わればそれでいいと思っているので、妙にベタベタした感じのする日本式の「おもてなし」はちょっと重苦しいんですよね。

こんな記事もあったので、あながち世間的にも間違ってないのかな、などと思った次第。

OZPAの表4
過剰接客の功罪
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